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創世記 下
「あなた彼に一体何を言ったの? 何故私達の邪魔をするの? 一体何故邪魔をするの? 何の権利があって邪魔をするの?」
 彼女の良く通った綺麗な声が僕を罵倒する。僕は彼女の方を振り向く事さえ出来ない。彼女の声を聞くだけで物凄く悲しい気持ち。情けない気持ち。溢れる程の劣等感。自分の事がどんどん嫌いになる。
 僕は彼が大好き。彼を裏切る事だけは絶対に出来ない。彼に嫌われる事だけは絶対に出来ない。どうでも良いと思われるのは良い。嫌われるのだけは嫌。絶対に嫌。
 なんて醜いの。何故何も答えないの。あいつは私の方を振り向こうともしない。あいつの姿を見ているだけで嬉しい気持ち。喜ばしい気持ち。溢れる優越感。自分の事がどんどん好きになる。
 彼女は僕に無い全てを持っている。
 私はあいつに無い全てを持っている。
 あいつはこれ以上小さくなれない位小さくなって震えている。私はそんなあいつをしこたま蹴り付けた。溢れ出る優越感。この世界には私と彼の愛しい我が子達、美しい子供達で満ち溢れている。あいつはこの世界に不必要な存在。何故存在しているの?消えて無くなれ。汚らわしい汚物の癖に。

「ねえ。あたなは私達だけじゃあ寂しいと思わなの? 全然思わないの? 私達と同じカタチをしたモノ達を作らない? 作りたいと思わない? そうすればこの世界は今までと比べ物にならない位素晴しく、そうして美しい世界になるわ。」
「俺は今の世界で満足過ぎる位、満足をしているよ。君の産んだ子供達は本当に美しい。愛しい我が子達。美しい我が子達。これ以上を望むだなんて。君は一体何が不満なんだ? 俺には理解出来ない。全然理解出来ない。」
「君の考えにはついて行けない。俺はもう、君を受け入れる事は出来ない。」

 僕はこの木の下にいるのが大好き。葉が大きくてとても優しい感じ。幹に耳を当てていると水の音がする。とても安らかな気持ちになれる。絶望が少しづつ癒される気持ち。少しずつ、少しずつ、少しずつなのだけれど。
「ねぇ。あなたは私達だけじゃあ寂しいと思わない? 私達と同じカタチをしたモノ達を作らない?」
 僕は心底驚いた。
 彼女は僕を押さえ込んだ。僕は彼女から離れようと突き放そうとした。その腕を彼女に噛み千切られてしまった。腕からは薄桃色の骨が覗く。血が流れる。止まらない。痛い。痛い。痛い。痛い。血は地面に滴り落ちてまぁるく水たまり。そうしてゆっくりと大地へとしみ込んでゆく。抵抗する度彼女は僕を傷つける。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。血が滴り落ちる。彼女は泣いている。美しい顔をゆがめて泣いている。
 助けて。
 彼女は静寂を産んだ。
 僕がどこへ逃げても彼女は追って来る。なぜならば世界は彼女の子供達だらけ。彼女の味方だらけ。僕は一人。
 彼女は夜を産んだ。
 彼女は星を産んだ。
 彼女は月を産んだ。
 あいつとの子供は本当に、醜い子供達ばかり。本当に嫌になる。前よりもずっとあいつの事が大嫌い。大嫌い。大嫌い。情けなくなる。でも私はどうしても私達と同じカタチをしたモノ達を産みたい。絶対に産みたい。産んでみせる。絶対に。
 彼の居場所がわからない。彼女の居場所もわからない。彼がいつもいた木陰に彼の姿はもう、ずっと無い。彼の事を全然知らなかった自分に愕然とする。俺の知らない子供達が世界に増えた。嫌な予感がする。
 子供達に問いかける。でも、彼女をかばっているのか誰も俺の質問に答えようとはしない。俺が前へ進もうとすると草が足にからむ。向い風が吹く。砂塵が舞う。大雨が降る。日が照りつける。
 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛いよぅ。血が滴り落ちる。一滴残らず滴り落ちる。僕は腐れて腐肉に変わる。どろりと溶けて滴り落ちる。一滴残らず滴り落ちる。そうして大地へとしみ込んでゆく。もうどこが痛いのか分からない位に全部痛い。僕は逃げられないよう足を切り落とされた。手も切り落とされた。僕の身体。僕の身体。僕の身体。元に戻して。元に戻して。透明な世界に帰りたい。何も無い透明な世界に帰りたい。あの頃に戻りたい。初めに戻りたい。彼に会いたい。さよならをしたい。そうして僕はもう消える。僕はもう消える。消える。消える。消えたい。消えたい。消えさせてよぅ。目を閉じても、もう透明な世界へは帰れない。彼女はずっとずっと泣いている。顔を歪めて泣いている。僕はそれを見つめる。血と汚物にまみれて見つめる。見つめる。見つめる。見つめる。僕はもう消えたい。彼に会いたい。彼女のお腹の中には僕の子供。もう直産まれる僕の子供。
 彼女と彼の居場所は一体何処?探しても探しても二人の痕跡はまるで無い。焦る気持ち。嫌な予感だけが募る。絶対に良い事にはなっていない。何故だかわかる。何故だかわからないのだけれど。探して、探して、探して、探して、探して。

 世界のどこからか悲鳴。彼女の悲鳴。動物のような悲鳴。俺は急いで駆け付ける。

 股の間から血を流した彼女。髪の毛は艶を失って灰色。肌には皺が刻み込まれて。目だけがぎょろりと飛び出して。口からは涎、歯は黄色。鼻からは鼻水、汚物にまみれた愛しい彼女。彼女は俺を視界に捕らえるとやおら喚き立てた。立ち上がって喚き立てた。しわがれた声で喚き立てた。とても聞き取り辛い。
「あなたのせいで! あなたのせいで! あなたのせいで! 全部、全部、全部、全部、あなたのせいで!」
 視線をずらすとそのすぐそばには手と足の無い彼。血と汚物にまみれて横たわっている。彼は俺を視界に捕らえると口の端が少し動いた。笑ったのだろうか。俺は彼の笑顔を見た事が無い。手と足が蔓でくくられてまとめて積まれてある。薪のように積まれてある。嫌な臭いを放っている。
「あなたのせいで! あなたのせいで! あなたのせいで! 全部、全部、全部、全部、あなたのせいで!」
「最後に言いたい事があったから。僕はあなたが好きだった。彼女よりもずっと。本当に好きだった。好きだったよ。」
 小さな声。震える声。
「あなたのせいで! あなたのせいで! あなたのせいで! 全部、全部、全部、全部、あなたのせいで!」
 俺は石で彼女を打ち付けた。何度も何度も打ち付けた。愛しい彼女の顔はグヅグヅに崩れてゆく。
「あなたのせいで! あなたのせいで! あなたのせいで!全部、全部、全部、全部、あなたのせいで!」
 それが彼女の最期。目を見開いて、苦悶の表情を浮かべて。かつての美しさは完全に失われて。優しかった彼女は完全に失われて。脳髄をぶちまけて。顔中を血でどす黒く染めて。全身を痙攣させて。
 俺は彼を抱き起こす。手と足の分が無くなったせいか物凄く軽い。
「ここじゃあ無いどこかへ帰ろう。」
「僕はあなたに嫌われるのだけは嫌だった。嫌だった。嫌だった。」
「帰ったら身体を洗おう。そうして美味しい物でも食べて、のんびりしよう。」
「好きだよ。好きだよ。本当に、大好き。」
「あの木もお前を待っているよ。」
「ねぇ。本当に大好きなんだよ。ずっとずっと好きだったんだよ。」
 ふと振り向くと倒れた彼女の股の間からは小さな手。彼と同じ手。彼女と同じ手。俺と同じ手。
「僕と彼女の子供達はあなたと彼女の子供のように綺麗かな?」
トラベルミン