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破片
 彼は音を立ててバラバラと崩れ落ちた。
 私は破片を前に途方に暮れた。

 彼と出会ったのは古びた商店のショーウインドの中。新しい形の人形に押しやられ何だか寂しそうな感じがして(破格の値のついた値札にもつられたのだけれど)その日が給料日だと言うこともあって、まあ、とにかく買ってしまった。
 ぼろぼろだけれど彼の入った新しい箱を家に持ち帰り胸を高鳴らせながら蓋を開けた。
 彼は新しいのに壊れてしまっていて、喋らない。動かない。動くのは瞳だけ。
 新しい形の人形にしておけば良かった。見た目も派手で可愛くて。「ヤスモノガイノゼニウシナイ」と言う言葉が重くのしかかった。頭に来て壊れた商品を売り付けた店主に彼を突き返してやろうと思ったけれどクルクル動く決して澄んでいるとは言いがたいけれど茶色い瞳を見ているとどうでも良くなって思わず彼に向かって微笑み返していた。
 彼の為に素敵な服を買って来た。
 素敵な靴を買って来た。
 素敵な椅子を買って来た。
 私の部屋は狭いけれど日当たりはとても良い。一番良い場所に素敵な椅子を据え付けて彼をそこに座らせた。見た目よりもずっと重たい身体。
 古いけれどお気に入りのステレオで古いけれど素敵な音楽を彼の為に聞かせてあげる。
 素敵な時間。
 どんなに退屈でどんなに辛くてどんない最低な出来事も部屋で彼が待っている事を思ったら全然大した事じゃあ無くなった。
 でも彼はとても古くて。彼の時間を取り戻すお金は私には無くて。どんどん彼の時間は奪われてゆく。細々と取り戻す時間では決して追いつけない速さで。
 通勤途中華やかなショーウィンドの中には彼とは比べ物にならない位見た目も派手で可愛くて綺麗でまぶしい位の人形が季節毎にどんどん並び変えられてゆく。何もかもがどんどん新しくなってゆく。
 私の部屋の中だけ時間がぴったり張り付いてしまったようだね。と笑って彼に話し掛ける。彼のクルクル動く茶色い瞳が私を見つめる。
 私は彼以外を部屋に入れる事は決して無くなった。
 いつの間にか彼を買った古びた商店は取り壊されていた。何故か商店の残骸はいつまでも片付られる事は無かった。
 彼の入っていた箱には彼の説明書が入っていた。私はそれをあまり詳しく読まなかった。
 彼の瞳がただの飾りで私を見つめているんじゃあ無い事を今更知った。
 彼の素敵な服を引き裂いた。
 彼の素敵な靴を放り捨てた。
 彼の素敵な椅子から引きずり降ろした。
 どろどろとしたうすぎたない汚泥が私の心と身体を埋め尽くして溢れ出した。
 夢中で彼を椅子で叩き付けた。
 下の階に住む老婦人が騒音の苦情を言いに来るまで夢中で彼を叩き続けていた。素敵だった服と素敵だった靴と素敵だった椅子は全然素敵じゃあ無くなっていた。
 彼を優しく抱き起こした。
 又元の素敵な時間に戻そうと思った。彼の瞳がただの飾りでも彼との時間は本当に素敵だった。私は怒ったのは筋違いたった。彼に申し訳無く思った。
 彼を抱き起こした瞬間私の部屋に張り付いた時間は勢いを立てて流れ出した。

 彼は音を立ててバラバラと崩れ落ちた。
 私は破片を前に途方に暮れた。
 彼の二つの瞳がころころと転がった。私はそれを拾い上げ私の瞳にあてがって窓の光にすかしてみた。彼の瞳を通して見る世界は私だけの瞳で見る世界よりもほんの少しだけ、素敵だった。
トラベルミン